~医療・健康分野のデータサイエンス海外事情~ヘルスケア先進国の取組みに学ぶ

■日本の医療データサイエンスが「遅れていないと錯覚・勘違いさせる」ような客観的事実を述べてはいかがでしょうか。筆頭候補は、日本が世界有数の長寿国であること、などがあるかと思います。

 ヘルスケア分野でのデータサイエンス活用については、日本はやっとその端緒についたというレベルであり、海外のヘルスケア先進国からは、大きく水をあけられていると言わざるを得ません。

 たとえば、福祉先進国が多いとされる北欧諸国やイスラエルなどでは、かなり早い時期から国民の医療・健康関連データを一元的に管理し、様々なシーンで利活用できるように整備する動きが、国家事業的規模で推進されてきました。

 デンマークやスウェーデンではEMR(Electronic Medical Records:電子カルテ)普及率はほぼ100%といわれます。特にデンマークにおいては、国民共通番号制度を背景としてNDB(National Database:国が主体となって構築される、国民のレセプト情報や特定健診等を格納・構築されるデータベース)の整備が進み、すでに利活用の段階にあります。
 イスラエルにおいても、国民皆保険制度を背景として、国民一人ひとりの医療情報を統一的なデータ基盤で管理・運用されています。こうしたデータはイスラエル国内のどの病院からもアクセスできるので、治療等に役立てられることはもちろん、蓄積された医療データをデータサイエンスで分析することにより、予防医療等にも活用されています。

 このように世界に目を転じれば、ベンチマークすべきヘルスケア先進国の事例は多く、本稿ではそうした事例の一部を紹介しつつ、日本のヘルスケア分野でのデータサイエンス活用がいかに急がれるかということを考察してみたいと思います。

日本におけるヘルスケア分野のデータサイエンスが抱える3つの課題

 冒頭で触れたように、日本のヘルスケア分野におけるデータサイエンス活用の実態としては、必ずしも諸外国に先行しているとは言い難く、一部のヘルスケア先進国と比較すると、かなりの遅れがあるといっても過言ではない状況にあります。
 その背景には、ヘルスケア先進国との決定的な「差」が、大きく分けて3つあると考えています。

 1つめは、「インフラの差」です。ヘルスケア先進国では、データサイエンスの利活用可能なデータ基盤がしっかりと構築されていて、そうしたインフラを医療機関はもとより、民間企業などでも利活用できるようになっています。日本にも、データサイエンスがデータ解析の対象とすべき医療・健康などのヘルスケア分野の“データ”自体は多様に存在しています。しかし、そうした“データ”が、データ解析にかけられるレベルのデータとして統一的に集約されていないという問題があります(「データ」以前の状態だということです)。近年、NDBとしてのデータ基盤整備に向けた取組みが始まってはいますが、まだまだ本格的な利活用が可能なレベルではありません。まずは、データサイエンスを推進するためのインフラとして、データ基盤の整備が急務であるといえます。

 2つめは、「医療サービスの差」です。ヘルスケア先進国では、遠隔制御による手術や、血糖値を測定するコンタクトレンズの開発、また非接触で常時監視が可能な医療用IoTセンサーの開発など、革新的・先進的な医療サービスの開発や実用化への動きが活発です。もちろん、日本でも様々な研究開発が行われていることは承知していますが、ヘルスケア先進国の動きと比較すると、まだまだ充実度は低いのではないかと思われます。その背景には、日本では医療現場におけるデータサイエンスの活用が進んでいないということがあると考えられます。たとえば遠隔制御による手術などでは精緻な画像解析などが不可欠になるなど、新しい医療サービスなどの開発にはデータサイエンスは必須です。しかし現状、日本のデータサイエンスはまだまだ弱いというのが実情です。そのため、データサイエンスを活用した医療サービスが、日本では十分に活用できる域に達していないのです。その結果、ヘルスケア先進国と日本の間には「医療サービスの差」が生まれてしまっているのです。

 3つめが「投資しているお金の差」です。ヘルスケア先進国では、まずデータ基盤の整備を国家レベルで推進し、しっかりとお金をかけて整備しています。そしてインフラが整ったところで次のステップとして、民間企業などにもデータベース等の利活用を促すことで、新サービス・新事業などの創出につなげライフサイエンス市場を活性化させるという政策を取っています。実際にデンマークでは、すでに触れた通り、国民共通番号制度を活用してNDBを整備し、その医療ビッグデータの民間企業が利活用することを仕組み化したことにより、ヘルスケア事業に取り組むグローバル企業の、デンマークへの投資を促進したのです。

 日本でも、厚生労働省がNDBやDPC(Diagnosis Procedure Combination:従来のレセプトに代わって医療費の計算を行うための新しい制度)データベースの整備などのための予算を持ちますが、ヘルスケア先進国に比べれば、決して十分な規模とはいえないようです。

データサイエンス活用に欠かせないインフラとしてのNDB

 データサイエンスを駆使する上では、データ解析の対象となるデータベース等の基盤がきちんと整備されていることは重要です。どんなに優秀なデータサイエンティストでも、対象のデータがなければ何もできません。あるいはデータ解析にかけられるように整備されていないデータだと、まずはその整備から始めなければならず、効率の悪いプロジェクトになってしまうでしょう。
 データサイエンスに供することのできるデータ基盤があるかどうかということが、まさに前項で触れたインフラの問題です。
 この点において参考になるのが、イスラエルの例です。

 イスラエルは日本同様に国民皆保険が基本であり、国民は、4つあるHMO(Health Maintenance Organization:健康維持機構。日本の健康保険組合のような役割を担っている)のうちのいずれかに加入しています。このうち、最も大きなHMOである「クラリット(Clalit)だけで総人口の52%程が加入しており、残り3つのHMOの加入者を合計すると、総人口に占める加入者割合はほぼ100%となります。

 HMOでは統一的なデータ基盤を用いて、加入者の医療情報を電子健康情報システム(HER:Electric Health Record)として集約しています。イスラエルのNDBということになります。ここには、1990年代半ばからの医療データの蓄積があるということですから、30年近いデータの蓄積があるということになります。
イスラエル国内にあるすべての病院は、必要に応じてこのNDBにアクセスし、患者の医療データを利用することが可能になっています。

 病院側としては、患者の過去の医療関連情報がわかるので、適切な医療サービスの提供ができるのです。
 またこうした仕組みで蓄積され続ける医療データは、データサイエンスを駆使したデータ解析に供され、病気の早期発見や予防治療などヘルスケア分野全般で利活用されているのです。

 日本でも、近年になってNDBの整備に動き出しています。国の保険制度自体は、日本もイスラエルと変わらない国民皆保険制度です。しかしレセプトデータは健康保険組合ごとの管理になっており、互いに連携することの難しい独立した管理体系が乱立しています。また2014年にDPC制度が導入されたことによって、従来のレセプトデータとは異なる基準の医療費データが混在していたり、統一的なデータ基盤といえる状況にはありません。また、カルテ情報については、最近でこそ電子カルテの導入が進んでいますが、それ以前のカルテを電子化することも必要になるなど、イスラエルと比べると、その差は歴然というほかありません。

参考:医療データを活用するデジタルヘルスケア(イスラエル)
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/4b9e4934cca92480.html

画像解析、AIなどデータサイエンスの進化で遠隔手術が可能になる

 アメリカでは、グーグル社の関連会社であるベリリィ(Verily)社(旧グーグルライフサイエンス)が、手術支援ロボットの開発プロジェクトをスタートさせています。

 そこでは、グーグル社が持つ画像解析技術や、AIなどのデータサイエンスを活用しているとのことです。同様に、アメリカのインテュイティブ・サージカル社でも、手術支援ロボットの開発を進めており、遠隔手術によって、近くの医療施設に居ながらにして世界最高の名医の施術を受けられることが実現するのはそう遠くない未来かもしれません。
遠隔手術自体はまだ実用段階ではないようですが、遠隔診療はアメリカでも日本でも、すでに実用化のレベルに至っています。

参考:遠隔制御で高度な手術を行う「Robotic Surgery」 企業名/Verily アメリカ
https://www.kotora.jp/c/itiger-case-404/#outline__1_13

ビッグデータ解析の知見を生かしたヘルスケア製品開発

 去る2015年、製薬業界最大手のスイス・ノバルティス社はデジタルメディスン部門を立ち上げ、デジタルヘルス事業への取組みを加速させました。そして、その取組みのひとつとして、「スマートコンタクトレンズ」の開発プロジェクトがすでにスタートしていることを公表しました。

 「スマートコンタクトレンズ」は、アメリカ・グーグル社が開発し、アメリカのアルコン(Alcon)社に技術供与したものがベースのようで、そのコンタクトレンズを装着するだけで、涙に含まれる糖を計測できるというものでした。糖尿病患者の血糖値モニタリングなどに活用できるとして期待が寄せられました。データサイエンスで用いられる機械学習の技術が進化したことで、膨大な医療データをデータ解析することにより、将来の健康リスクを推測したり、病気が発症する前に予防情報を提供したりすることが可能になります。それを、コンタクトレンズのような常時装着するツールを利用して、糖尿病の予防などに役立てようという試みといえるでしょう。
しかし残念ながら、この開発プロジェクトは2018年に中止が発表されました。涙の成分を調べるだけでは、一貫性のある血糖値の計測につながらないということが中止の理由だったそうです。

 ところが、2020年4月の「Science Advances」オンライン版に、血糖値を測定することができ、かつ、必要な薬剤の投与ができる機能を兼ね備えたスマートコンタクトレンズが、実現可能であることが動物実験によって確認されたと発表されたのです。研究を主導した韓国・浦項工科大学教授で、かつ米スタンフォード大学客員教授であるSei Kwang Hahn氏の研究グループは、今後ヒトを対象とした臨床試験を進め、順調にいけば2023年中の製品化を目指してるそうです。

参考:Science Advances
https://advances.sciencemag.org/content/6/17/eaba3252

参考:糖尿病ネットワーク
https://dm-net.co.jp/calendar/2020/030088.php

SFの世界のようなヘルスケアサービスが具現化される

 イスラエルのスタートアップ企業であるアーリーセンス社は、2004年に創業し、一貫して医療用IoTセンサーを事業の柱として成長を遂げています。

 アーリーセンス社の主要製品は、ベッドの下に配置することで、その上で寝ている人の呼吸・心拍数・体の動き(寝返り動作など)などをモニタリングすることのできる非接触型のモニタリング機器です。
 従来の計測機器は、患者の体に直接装着する必要があるものが多く、そのこと自体が患者のストレスになりがちでしたが、アーリーセンス社の機器は患者に直接装着する必要がないのでストレスがなく、それでいて継続的に高精度の計測ができる点が大きな特徴です。
 計測されたデータは、病室内のモニターはもちろん、遠隔にあるナースステーションなどのモニターでもチェックでき、計測される数値に異常があれば、医師や看護師などの関係者の携帯電話に警告メッセージを送るなどの対応ができます。

 こうしたモニタリングのシステムは、基本的には病院向けのソリューションとして開発・提供されていますが、アーリーセンス社では、一般家庭向けのソリューションも開発し、ラインナップに加えているそうです。
 当然のことながら、こうしたモニタリングシステムを通じて蓄積されたデータは、データサイエンスに供することで、詳細にデータ解析され、様々な価値創出に役立てることも可能となります。

 非接触によるヘルスデータの計測ということでいえば、昨今のコロナ禍で普及が進んでいる検温システムは、すでに日本でもお馴染みです。

 体にセンサーなどを装着することなく健康管理上必要なヘルスデータが測定できて、かつ、過去に蓄積されたデータの解析によって、ある種の計測数値が閾値を超えたら、アラートを発するような仕組みは、ひと昔前には考えられなかったSFの世界です。
 しかし、そうした便利な世界が、データサイエンスによって現実のものになりつつあるのです。

参考:アーリーセンス社のWebサイト
https://earlysense.com/

ヘルスケア分野のデータサイエンスを加速させるための公的投資の必要性

 日本の2021年度予算案は、一般会計総額が106兆円超でした。2020年度が102兆円超で、2019年度が101兆円超と、ここ3年は連続して100兆円を超えています。

 このうち、厚生労働省の予算額はおおむね32兆円程度で、国家予算の約30%程度です。さらに、その内訳について、令和3年度の概算要求で見てみると、「予防・健康づくりやデータヘルス改革」分野の予算が約2600億円で、さらに、その中身は「健康寿命延伸に向けた予防・健康づくり」予算として約1500億円、NDBなどの整備費用を含む「新たな日常にも対応したデータヘルスの集中改革プラン等の実施」予算として約1000億円が計上されているに過ぎません。この予算項目は4つのテーマで構成されており、「NDB(レセプト情報・特定健診等情報データベース)や介護保険総合データベース等で保有する健康・医療・介護情報を連結して分析可能な環境の整備」は、その中の1つに過ぎないのです。

 この程度の国家予算で、イスラエルやデンマーク、スウェーデンなどのヘルスケア先進国と同等レベルの「インフラ」、「医療サービス」に到達するのは、極めて難しいと言わざるを得ません。

 日本が、医療・健康分野のデータサイエンス活用を加速させ、医療サービスの向上・国民のQOLの向上を目指すのであれば、この分野への公的投資をもっと増やす必要があるのではないかと考えます。

データサイエンティストが活躍できる“場”の創出こそが、日本の課題

 ヘルスケア先進国では、必要なデータがきちんと統一的に整備されてデータベース化されており、その活用についても、しっかりしたルールの下で、広範な活用シーンを想定して、オープンにされています。

 すでに取り上げた通り、デンマークでは国家レベルで整備したNDBを、民間企業が活用できるように開放したことで、グローバル企業などがデンマークに進出し、先進的なサービス開発、事業開発などに取り組み始めました。
 データ解析に供することのできるデータがあれば、データサイエンティストや、データサイエンスを業とする企業などが、持てる技術や知見に基づいて、新たな価値を創出することも可能になります。デンマークは、まさにその好例です。

 しかし、今現在の日本がおかれている状況は、デンマークやイスラエルなどの現状よりも、はるか手前で足踏みしている状況です。

 つまり、データサイエンティストやデーサイエンス企業が本領を発揮できるようなデータ基盤が、そもそもないのです。データサイエンスを活用できる土壌が不足しているということです。

 厚生労働省の主導で、NDBの整備が進められているのは事実です。その前提として、電子カルテの整備なども進められており、現時点では決して高いとはいえないけれども、EMR普及率もプライマリケアで3割を超え、セカンダリケアで7割を超える程度には整いつつあるといわれます。しかし、ヘルスケア先進国と比較すると、まだまだ足元にも及んでいないのです。

 少子高齢化がさらに進展するであろう日本において、国民のQOL(Quality of Life:生活の質)を向上させるためには、医療・健康分野のサービスの充実は不可欠です。そして、そのサービスを充実させるためには、“何をなすべきか”を、データに基づいてきちんと解析することが不可欠です。データサイエンスの活用が急務なのです。そして、データサイエンスを十二分に活用するためには、インフラとしてのデータ基盤が整っていることが前提なのです。

 そのプロセスをきちんと理解した上で、私たちはデータサイエンスと真摯に向き合わねばならないといえるでしょう。

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